2009年4月17日金曜日

昭和戦中期の議会と行政


古川隆久著 吉川弘文館
2005年4月発行 本体7500円

タイトルは昭和戦中期となっていますが、沿革もあるので主に昭和戦前期について、議会は衆議院、行政は内務官僚が記述の対象となっています。国家総動員法が成立してしまえば、ナチスドイツの授権法のように、議会は存在自体が不要なものになってしまうかと言うとそうではありませんでした。特に、
総動員法案の審議過程における政府側の答弁をみると、政府側は、議会を超越して天皇の名において出される緊急勅令や非常大権は、天皇の権力がストレートに表現されることになるため、天皇の政治責任の問題をおこしやすいと考えていたと思われる。従って戦時対策も法律によらざるを得ず、議会の発言力は確保された。
という説明には、なんとも日本的な事情があったことが分かり、勉強になりました。

ただそれでも、戦中期の議会・衆議院について形骸化し無意味な存在であったという見方の方が一般的だと思います。しかし著者は、農業や教育など比較的政府の取り組みが消極的だった分野で、議会が政策立案過程に積極的に関与していたことを史料から明らかにしています。また、国家総動員法にもとづく勅令についても、恒久的な性格をもった措置、戦争遂行目的の臨時的なものとはいいきれないものについては、議員が委員として参加していた国家総動員審議会の場で、容易に通過させなかったことも示されています。これらの事実から著者は「当該期の政策過程において、議会勢力は重要な役割を果たしていたといえる」と結論づけています。

既成政党が解党して無力化してしまったと思っていた議会も、それなりに仕事をしていたことは理解できました。ただ、議会が政策立案過程に関与できたのは政府の取り組みが消極的な、つまり戦争遂行にとって重要性の薄い分野だったわけで、「議会勢力は重要な役割を果たしていた」とまで言うのは言い過ぎのような気がします。

もうひとつ、議会に関しては第7章で戦前の請願の事情について記されています。請願は明治憲法に定められた制度で、戦前期には2000~4000件、日中戦争期には1000件、太平洋戦争期には500件前後の請願が議会で審議されていたのだそうです。請願に関する知識は全くなかったので、数の多さには驚かされました。最近の国会での請願審議件数は2000件程度のようですから、請願については今と同じくらいの活発さで行われていたのですね。

また、政党内閣終了後の日本の政治体制について著者は、
五・一五事件による政党内閣の中断後の日本の政治体制を普遍的な概念でどう概念化すべきかは、いまだに決着がついてない問題である。すなわち、国家レベルにおいては全体主義とはいえないことはもはや明らかであるが、それにかわって比較的よく使われる戦時体制という定義も、日中戦争勃発以後(戦中期)にしか適用できない上、どのような戦時体制なのかについては議論が熟していない。
と述べた上で、本書で紹介された各政治勢力の動きを総合すると、
「国家を統治する洗練されたイデオロギーは持たず、しかし独特のメンタリティーは持ち、その発展のある時期を除いて政治動員は広範でも集中的でもなく、また指導者あるいは時に小グループが公式的には不明確ながら実際には全く予測可能な範囲の中で権力を行使するような政治体制」というJ・リンスの古典的な権威主義体制の定義に驚くほど合致しているといえる
としています。これには全くうなづかされました。

本書の内容とは直接関連しませんが、憲政の常道の時代には政党内閣が組織され、数年おきに政権交代が実現していました。しかしこの政党内閣制は、選挙費用の高騰、地方における政争の激発、政権交代に伴う高級官僚の党色人事など党弊と呼ばれる問題も伴っていて、既成政党打破を望む空気が醸成されたわけです。現在の日本の閉塞状況下、自由民主党の長期政権に対して政権交代が行われることを私は期待していますし、そう望む人は私以外にも少なくないだろうと感じます。ただ、政権交代が実現したからといって問題がすべて解決してしまうわけではないでしょうから、政権交代の常識化した議院内閣制に対する不満が生じることも避けられないでしょう。昭和戦前期の経験に対する温故知新が必要な時代になってきているような気がします。

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