E.S.ファーガソン著 平凡社ライブラリー
2009年4月発行 本体1500円
アメリカの工学の教育機関には、現場での経験を持った教授はほとんど存在せず、また実際の建造物・機械などを扱う経験や製図法などのモノ作りに際して必要となる直感やイメージといったMInd’s Eyeを育む教育が重視されず、コンピュータを用いた解析的な手法ばかりが重視されることを著者は危惧して本書を書いたのかなと感じられました。
解析の方が設計よりも教えるのが容易だし、実験コースよりも整然としていることは間違いない。現実世界における技術の実践には計算できない複雑さがあるのだが、工学教育における真の『問題』は、格の高い解析的コースの方が、そうした複雑さに対する直感的な『感じ』の啓発を促進するコースよりも優れていると、暗黙のうちに認めていることなのであるこんな文章が本書にはありますが、実際には数値解析にもとづく決定は工学の最先端にいる技術設計者の判断のほんのわずかなぶぶんでしかないのだそうです。コンピュータを使って有効数字6桁以上をつかって設計するよりも、経験から実際の使用状況などを加味して有効数字3桁の計算尺をつかった設計の方が妥当なこともありえます。ハッブル宇宙望遠鏡の不具合やアメリカの大学体育館の屋根崩落など、CADが実用化された後の設計の失敗による建造物の事故事例がその証拠として取りあげられています。
ただ、科学を尊ぶポーズというのは現代の技術者だけでなく、ルネサンス期からみられていたのだそうです。ルネサンス期にはギリシア数学が王侯貴族に珍重されてたので、当時の技術者は実際の設計には使用していないのに、「科学こそ真理への道であり、物質的な世界を変えた進歩的な発明の最も重要な源であることを、自分たちのパトロンに納得させ」ることによって、自らの構想の実現をはかったのだそうです。
ある機能を果たす建造物や機械の設計は、ふつうに大学などで教えられる問題を解くのとは違って、答えが一通りではありません。多くの考え得る解の中から、ある特定の部品・部材の組み合わせを選択してモノを作るに際しては、直感・イメージが重要だと著者は主張しています。なので、ルネサンス期の技術者は芸術家でもあり、また近代の設計技術者に絵画や写真や音楽などを趣味にしている人も多いのだとか。で、ルネサンス期の技術者は、そのイメージを頭の中にもったまま制作を行いました。しかし、技術者と製作に携わる人が別々になるにつれ、イメージを正しく伝えるために製図法がつかわれるようになったのだそうです。
設計・製図の重要性について縷々述べられている本書を読んでいて、19世紀末に三菱長崎造船所で建造された常陸丸のエピソードを想い出しました。それまで経験のなかった6000トン級の船舶の建造にあたっては、日本郵船から同型船の発注を受けたイギリスの造船会社から、設計図・ワーキングプラン一式をそっくり譲り受け、しかも同社で使った鉄材を同じように購入することにより、大型船の建造経験を得ることができたわけです。著者の言う技術史における設計図の重要性がよく分かる気がします。
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