2009年4月20日月曜日

ロシア共産主義


バートランド・ラッセル著 みすず書房
2007年6月発行 本体2000円

イギリス労働党の代表団と一緒に1920年5月11日から6月16日までソ連を訪問しました。レーニン、トロツキー、ゴーリキー、カーメネフなどの著名人だけでなく、都市や農村の一般の人とも話をする機会を持ちました。それをもとに、「ボルシェヴィズムはフランス革命の特徴と勃興期イスラム教の特徴とを兼ね備えている」という著者の評価とそれを示すエピソードを紹介した本です。

先日読んだ同じ著者によるドイツ社会主義の中で
「もし社会民主党が突然の革命によって権力を獲得したならば、彼らの理想がそのまま手つかずに残り、事前に漸進的な実務の訓練を経ないで政権についたならば、きっとフランスのジャコバン派のようにさまざまな馬鹿げた破滅的な実験をすることになるであろう」
とラッセルは述べています。これはロシア革命の経過の見事な予言になっていて、その慧眼には感服させられます。

大地主が土地を奪われて農民は以前より暮らし向きが良くなっていました。しかし協商国の敵意のもとで、機関車など必要な工業製品が輸入できず、また最良の工場労働者を兵士として派遣したために工業は崩壊していました。都市と軍隊が食料を必要としているので政府は農村で食糧を調達しなければなりませんが、交換に農機具・日用品などの工業製品を提供することができず、紙幣を渡すしかありません。しかし、農村では帝政のルーブルがソヴィエトのルーブルの10倍の価値をもち、しかもおおっぴらに流通していました。政府は都市と工業人口を代表しており「農民との関係は通常の政府と国民との関係よりも、むしろ外交・軍事関係である」のだとか。

他方、モスクワやペトログラードなどの大都市では食糧がとても不足していて、決して贅沢ではないが充分な量の配給を受けている共産党員に対する反感の原因となっていました。この結果、どう工夫しても自由な選挙では共産党が多数を得ることができず、自由な言論・新聞・選挙・集会が完全に抑圧されることになっていたのです。著者はソヴィエト体制が議会主義よりも本当に優れているのかどうか研究したいと思って訪ソしましたが、「ソヴィエト体制はすでに死滅しかけていた」と述べています。

革命後のソ連の困難には、戦争でロシア経済が疲弊していたこと、革命後の外国からの干渉・経済封鎖などが影響しています。しかし、ボルシェヴィキの理論からすれば革命後の外国からの敵視は当然予想されてていたはずで、真に驚くべきことは農民や工場労働者からも敵視されるようになってしまったことでしょう。そしてその原因は、ボルシェヴィキが真の多数派ではないのに政権を奪取してしまい、ドグマにもとづく信仰の体系であるボルシェヴィキの党員が献身的な独善を大いに発揮したことにありそうです。著者は10月革命について、
「革命の瞬間、共産主義者は何か人気のある叫び声を挙げ、共産主義だけでは得られないような支持を得る。こうして国家機構を獲得すると、彼らはそれを自分たちの目的に利用する」
ことによって実現したと述べています。小泉首相が郵政民営化選挙でこの戦術を利用したことは記憶に新しく、また他の民主主義国でも選挙に際しての常套手段でしょうが、政権交代のないソ連ではこれの悪影響が1991年まで続いてしまったというわけです。

著者は社会主義への共感を持ち、社会主義への移行を望んでいますが、ボルシェヴィキのやり方では希望は実現されす、しかも西欧でボルシェヴィキ流の革命を起こすことは、資本主義国からの経済封鎖で飢えにつながるだけで不可能で、無理に複数の国でそう言った革命を起こせば文明の退化につながるとしています。その点で、ソ連を訪れた西欧の社会主義者がロシア共産主義の汚点を隠蔽する態度をとっていたことを批判してもいるのです。

そして著者は、「一つの世界勢力としてのボルシェヴィズムが成功すれば、遅かれ早かれアメリカと絶望的な対立に陥ることであろう」と予言しています。この本が1920年に書かれたことを思うと、驚くべき洞察力です。このエントリーのトップで紹介した社会主義政党の革命に関する予言ともあわせて、著者には全く脱帽。この本の内容は現在から振り返れば当たり前のことが書いてあるだけなのですが、1920年の本だと言うことが値打ちです。当たり前のことをリアルタイムでつかみ取るこういった洞察力がどうして可能だったのか、自分にもこういった洞察力がほしいと、無い物ねだりをしてしまうところです。

あと、レーニンとの会見のエピソードを面白く感じました。レーニンはイギリス労働党が政権を取ること、そしてイギリスのレーニン主義者がそれに協力することを望んでいたそうです。それはなぜかというと、労働党政府ができても重要なことは何もできないだろうし、その結果として労働者が議会制政府を軽蔑するようになってほしいからだとか。レーニンも偉大な政治家なのでしょうが、やはり彼はロシアの政治家でしかないから、西欧の民主主義の事情を理解できていなかったというエピソードですね。

2 件のコメント:

takumi さんのコメント...

ロシアの共産主義の実態を調べていてこのページをみつけました。
大変わかりやすい考察でした。ありがとうございます!

somali さんのコメント...

コメントありがとうございます

この本は読んでて、ラッセルの慧眼に脱帽です