2008年7月11日金曜日

脱出


ハンナ・ダイアモンド著 
朝日新聞出版局
2008年5月発行 
本体2400円

難民の大量発生・逃避行が道路を渋滞させ、自国の軍隊の作戦行動に妨げになることがあったとの記述を読んだことがあり、実際のところどうだったのかが以前からずっと気にかかっていました。5月に、韓国戦争第一巻を読んだのもそんな興味からだったのですが、その点では空振り。ところが、タイムリーに6月29日付け朝日新聞の書評に本書が取り上げられていて、「大脱出」がテーマとのことなので早速購入しました。

第二次大戦は1939年9月にドイツのポーランド侵攻に対してフランス・イギリスが宣戦布告したことで始まりましたが、その後の8ヶ月間、西部戦線では大きな戦闘がありませんでした。しかし、この間にもアルザス・ロレーヌやマジノ線近接地の住民は公的な疎開計画に従ってフランス南部の県へ移送されたし、50万人ものパリ市民が自主的に避難しました。しかし、予測された戦闘行為が起こらないので、非難した人たちも戻っていったそうです。

1940年5月10日に西部戦線でのドイツ軍の侵攻が始まると、ベルギーやついでフランス北部・東部の県からの避難民がパリにやってきました。5月下旬から6月4日のダイナモ作戦や、6月3日のパリ空襲、6月8日の政府のパリ脱出などの情勢から、パリ市民だけでも200万人が家を後にしたのでした。裕福な人は自動車で、幸運な人は鉄道で、自転車や多くの人は徒歩で、農民は荷車で。

みんな、避難の道中で水や食料が買えるものと思って出かけたそうでですが、道路を埋め尽くし歩行者の渋滞をひきおこすほどの人の多さだったので、食料の入手は困難でした。道中、たくさん持ってきてしまった衣類や家財道具を捨てる羽目になったり、子供がはぐれたりなど様々な悲劇が発生しました。しかし本書には、悲劇個々の描写は期待できません。というのも、本書はイギリスで2007年に出版された本だからです。「大脱出」から60年以上が経過しているので、本書はインタビューなどを主材料としたルポルタージュではなく、史料に基づいて書かれた歴史書的なのです。

迫真のルポルタージュが期待できないからと言って、本書が無価値になるわけではありません。本書を読むことによって初めて知ったことがたくさんあります。
①難民の総数は800万人にも達していたこと。うちフランス人はパリ市民の200万など、620万人で、その他はベルギー・オランダなどの外国人でした。
②フランス政府はパリを脱出する際に、共産主義者によるパリコミューンの再来をおそれていたそうです。
③フランス政府はトゥール、ついでボルドーへと移転しました。しかし、各政府機関が建物に電話もないなど、準備不足が明らかでした。この重要な時期に政府・各大臣などの情報交換が迅速に行えなかったことは。戦局の推移に悪影響を与えたでしょうし、徹底抗戦ではなく、休戦の申し入れをする一因ともなったでしょう。
④避難民だけでなく、それを受け入れた地方の住民も、大脱出を適切に処理する能力が第三共和制政府にないことを認識しました。敗北の責任ともあいまって、ペタン元帥による新しい体制を受け入れることに人々が抵抗しなかったのはこのためだと考えられているそうです。
⑤ペタンが受け入れられたのとは対照的に、亡命して抵抗をというド・ゴールの呼びかけは当初は共感されませんでした。ダイナモ作戦でイギリスに脱出できたフランス兵もその例外ではなかったそうです。
⑥800万人もの人が避難したわけですが、休戦成立後に、可能な人は徐々に自宅へ帰還していきました。避難し帰還したパリ市民の中には、パリにとどまれば良かったと感じる人がたくさいました。
⑦命令により「大脱出」に加わった人もいましたが、多くの人はパニックにとらわれて避難民の流れに加わっていったようです。戦争中なので、当然若い男性は少なく、女性・子供・高齢者が多い集団でした。

全く関係ないことですが、いつかは来るはずの東京大地震の際にビジネス街からの帰宅難民の出現が予想されています。人が道にあふれ、水や食料が入手できず、野宿することになる点では、この大脱出に似ています。そう言えば、本書には触れられていなかったけれど、トイレはどうしていたんだろう。

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