2008年8月10日日曜日

ボクらの京城師範附属第二国民学校


金昌國著 朝日選書845
2008年8月発行 税込み1260円

今上天皇と同年の1933年に生まれた金昌國さんの国民学校(小学校)時代からの半生記です。子供から大人になる頃が激動の時代だっただけに、いろいろとご苦労なさったようです。訳者名がないので、ご自身が日本語で書かれたものなのでしょう。

金さんのご家族は創氏改名(ATOKの辞書になかった)に応じなかったそうなのですが、それでも試験のある国立の国民学校に合格できたのでした。創氏改名に関する締め付けは、地方に比較して京城(これもATOKの辞書になし)では、緩やかだったそうです。

日本の敗戦後、朝鮮半島在住の日本人はみんな日本に引き揚げてきました。日本が朝鮮半島で本当に朝鮮の人のためになる統治をしていたなら、胸を張って住み続けられた筈ですが、ほとんどの日本人が逃げ出してきたことからも、日本の朝鮮統治の実情がうかがわれます。

引き揚げの際には、知人の朝鮮人に家などを託した人が多かったそうです。また手荷物として持ち帰れる品物・お金も制限されていたので、貴重品を預けて帰国した人もいました。託された家の多くは、その後の韓国政府の政策により、託されて住んでいる人のものとなったのだそうです。

同じような話を台湾から引き揚げてきた人から直接聞いたことがあります。一般の日本人が台湾を再び訪れることができるようになったのは1970年代以降ですから、家や物を託してから30年も経過していました。なので、託された物を大事に保管してくれていた台湾の人と再開を果たせたはいいものの、返してくれとは言い出せなかったそうです。同じようなことが朝鮮半島に住んでいてその後韓国を訪れた日本人にもあったでしょうね。

著者は朝鮮戦争の際にはソウルから釜山まで逃げて、アルバムなど大切なものをみんな無くしてしまったそうです。朝鮮戦争を経験した多くの韓国人には、同じような体験があるのでしょう。朝鮮特需について著者は、「日本の身代わりのようにして南北に引き裂かれたわが国の不幸をきっかけに、以後、国力を伸ばしていった日本に対する割り切れない思いは、今も韓国人の中にくすぶり続けている」と記しています。韓国とのお付き合いに際して、日本が国益を損なうような振る舞いをしないためにも、このことを忘れてはいけないと感じます。

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