西武国分寺線を利用して一ヶ月経ち、中央線よりはかなり空いていますが、それなりに人が乗っていることが分かりました。4月はじめの時は朝のラッシュでも空いているいう印象でしたが、乗客には学生が多いので単に春休みだから空いていただけのようです。で、毎日利用しながら、なんで国分寺と東村山ってい中途半端な路線なのか気になります。そこで本棚から、多摩の鉄道百年(日本経済評論社、1993年11月)を取り出して読みなおしてみました。
国分寺線は、そもそも甲武鉄道(現在の中央線)の支線として川越まで結ぶことが計画されていたそうです。実際には川越鉄道という別会社が設立されて、国分寺と久米川(現在は東村山駅)間が1894年に、そして久米川・川越間を併せて全線が1895年に開業しました。この本にはどうして中央線との接続駅に国分寺が選ばれたのかは書かれていません。でも、昨年読んだ地域交通体系と局地鉄道で紹介されていた明治時代の鉄道の設立計画では街道に沿ったものがほとんどでした。おそらく、川越鉄道も府中街道に沿って建設したので、東村山・国分寺という路線になったのでしょう。
その後、1927年に川越・東村山間が電化され、また同じ年に東村山・高田馬場間が開業して、川越からの電車は東村山から高田馬場へ直通運転されることになりました。東村山・国分寺間はローカル線となってしまったのです。 西武鉄道の路線図をみると、もともと川越・東村山・国分寺が一本の路線だったなんて想像しづらく表示されています。でも、東村山駅付近の地図を見ると、北から来る新宿線の線路がまっすぐ南の国分寺線につながっているのに対して、新宿線は東村山駅を出てすぐに南東に大きくカーブしていますから、国分寺線の方が先に建設されたことがよく分かります。
国分寺線の開業は明治20年代と古いので、沿線に家なんかほとんど建っていなかったのでしょう。線路が直線状に敷かれていて、カーブが少ない感じです。カーブが少ないからか、ローカル線ですけどかなりスピードを出して走ります。朝ラッシュ時にのろのろ走る中央線から乗りかえると、余計にそう感じます。速く走ってくれること自体は悪いことではないのですが、スピードを出すと国分寺線の電車はうるさいんです。休日の中央線特別快速なんかもかなりスピードを出しますが、E233系が導入されてからほとんど騒音を感じません。 何種類かの電車が国分寺線を走っていますが、特に3ドアの古い電車はモーターの音や走行音などとてもうるさい。
iPodで音楽聴いているとそのうるささが気になります。ノイズキャンセルのヘッドフォンなんかが売られているのは、車内の騒音対策としてなのかなとも感じてしまいます。きっと、地下鉄なんかはもっとうるさいんでしょうけど。
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