2009年5月31日日曜日
三大編纂物 群書類従・古事類苑・国書総目録の出版文化史
熊田淳美著 勉誠出版
2009年3月発行 本体3200円
先日、朝日新聞の書評欄で取りあげられていて購入しましたが、短時間で読めて面白い本でした。非常に地味な装丁の本だし、ふだんはあまり見ないような棚に置かれている本なので、書評で取りあげられてなければ、手にすることはなかったかも。
私は研究者ではないので実務に利用したことはありませんが、古事類苑・国書総目録のリファレンスとしての重要性や、この三つの編纂物が野心的なプロジェクトの成果であることは分かります。なんと言っても、コンピュータで情報処理ができる現代とは違って人手が頼りの時代に作られた訳ですから。しかし、その国家的と言ってもいいくらいの大プロジェクトは国がすすめたものではなかったのだそうです。
群書類従は塙保己一を中心とした人たちのプロジェクトで、幕府は倉庫や事務所用の土地を無料で貸してくれたり拝借金という形で支援してくれました。古事類苑は当初は文部省のプロジェクトとして始まりましたが、推進していた官僚の交替や資金面から最終的には神宮司庁が実施しました。大槻文彦の辞書である言海も文部省のプロジェクトとして編集され、原稿が完成していたのに古事類苑と同様の理由で政府が出版せず、最終的には編纂者の大槻に原稿と著作権が委譲されて出版に至ったのだそうです。
本書の半分以上は、岩波書店という民間企業が企画刊行した国書総目録のエピソードにあてられています。津田左右吉の著作の発禁問題で店主が起訴されていた紀元2600年に、岩波書店は国書解題という本の出版計画を明らかにしました。編集が進みましたが、第一巻の校了目前に戦災で頓挫してしまいました。戦後しばらく計画は止まっていましたが、1960年代に解題ではなく、所蔵者情報を含めた目録という形で出版されることになりました。解題としての発行を追求していたら、戦後の学問の進歩を考えるともっとずっと発行が遅れたでしょうから、良い判断だったと思われます。また現在では国文学研究資料館が日本古典籍総合目録という形で検索できるようにしてくれていますが、これも岩波書店が国書総目録の著作権を譲るなどの協力をしてできたものものなのだそうです。
四百字詰め原稿用紙の20字x20行が群書類従の原稿に由来することだとか、国学・国書といった言葉は明治以降に一般化したものだということ(江戸時代は和学や和書・本朝書籍など)だとか、「日本には、他に例を見ないほど写本の数が多いことがしばしば指摘される。中国文学の吉川幸次郎は、日本に現存する文献の多さが中国のそれをはるかに凌駕すること」などなど、本筋とは関係しないことも勉強になりました。
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