J・ド・フリース、A・ファン・デァ・ワウデ著 名古屋大学出版会
2009年5月発行 本体13000円
オランダ経済の成功・失敗と持続力1500ー1815というサブタイトルがついています。当初はオランダ経済史の簡潔な概説書を書く予定だったそうですが、この日本語版では二段組みで689ページ、しかもそのほかに索引と注と参照文献リストが55ページ分もついている読み応えのある本になっています。アナール派的なアプローチとアメリカ流のクレオメトリックスとを融合させたものを著者は目指したそうですが、空間と時間、構造とコンジョンクチュール、人々から述べ始めるスタイルは、ブローデルの地中海や資本主義三部作を思い出させます。オランダ経済が「最初の近代経済」なのかどうかは別にしても、この期間に関するオランダ経済史として面白く読める内容でした。
オランダの地形の特徴を述べている第二章は、Googleマップを見ながら読むのがおすすめです。例えば、オランダには泥炭の採掘地がたくさんあり、特にアムステルダム・ユトレヒト・ロッテルダムの三都市を頂点とする三角形で囲まれる地域には泥炭採掘の痕がたくさん残っていると記載されています。Googleマップを眺めるとたしかに同地域には池のような水面が多数みられました。また、ポルダーは堤防に守られていて、堤防とは直交する向きにたくさんの水路とその水路で区切られた短冊状の農地があると記載されていますが、そういう地形がそこかしこに見られます。また、オランダ中にちらばる都市の間は舟運が結んでいましたが、その経路を形成する小さな川や運河を見つけるのにもGoogleマップが役立ちました。
「長い16世紀」にヨーロッパ経済の拡大がみられましたが、オランダ(当時は北部ネーデルランド)にはヨーロッパの他の地域とは異なった特色がありました。もともと北部ネーデルランドにおいて「封建制はほとんどの地域で十分な発展をみなかった」ことです。 これにより、耕作者自身による農業投資が促進されて、穀物を輸入に依存する一方、家畜の飼育と商品作物・園芸農業が発展しました。また、泥炭や風力などの利用で1人当たりの消費エネルギーが多かったことや船上でニシンを処理できる新型の漁船の開発・風力製材機械などの技術革新によってニシン漁業・捕鯨業・造船業・製材業・織物産業などが発展しました。この結果、北部ネーデルランドの都市人口比率は1525年ですでに31~32%と高かったのが、17世紀後半の1675年に45%となるまでさらに都市化が続きました。
情報収集に高いコストがかかり、多くの商品が薄商いであったこの時代、不定期に供給される商品を蓄えて最終市場のより定期的な商品需要に応じることのできる市場が必要とされていました。ゾイデル海に面したアムステルダムは、バルト海貿易と地中海貿易という南北の公益を結ぶ結節点に位置していましたが、北部ネーデルランドの産業の発展を背景に、アントワープからアムステルダムへの大商人の移住やスヘルデ川封鎖ともあいまってヨーロッパ商業の中央貨物集散地としての役割を果たすこととなりました。
本書のタイトルは「最初の近代経済」ですが、著者は
イギリス産業革命は非常に重要であったが、より大きなプロセスの一部分として近代的経済成長に貢献した。より大きなプロセスである経済の近代化は、工業生産に限定されず、その舞台はイギリスよりはるかに広いヨーロッパの地域であり、同プロセスは十八世紀末よりはるか以前に始まっていた。と述べ、近代経済の条件として、
- 自由な商品・要素市場
- 広範な分業を可能にする複雑な社会を支える高い農業生産性
- 政策の決定と実施に際して、移動・契約の自由、財産権、住民の生活水準に関心を持つ国家
- 持続的発展と、市場志向の消費行動を維持するに十分な多様性をもつ物質文化とを支えられるだけの技術的・組織的水準
しかし一般的には、近代経済を特徴付けるのはクズネッツの言う近代経済成長、人口も人口1人当たり生産量も持続的に成長し広範囲にわたって経済構造の変化が生じる現象を呼ぶのかなとも思います。その観点から考えると、17世紀半ばからオランダの人口は停滞し、18世紀以降のオランダ経済は停滞・後退局面にありました。これに対して著者は、人口の停滞の原因が都市化と若年成人男性の海外活動への流出にあり、人口成長に生産力が追いつかないマルサス的危機ではなかったことを指摘し、近代的と呼べるとしています。
また18世紀オランダ経済の衰退は近代的的衰退だったとして、以下のように主張しています。17世紀後半からのヨーロッパの物価・賃金の長期的な低下に対してオランダの賃金の低下の度合いは軽度で、ヨーロッパの他の国と比較するとより一層賃金の高い国となりました。さらに17世紀にオランダが得た資本は内外の公債やVOCなどの株式で運用され、貿易赤字を上回る資本収支の黒字をオランダにもたらしました。この黒字によるギルダー高は、人口成長の停滞のもとでの高賃金という労働力の不足と失業の共存という分断的な労働市場、イギリス・フランスの重商主義的政策ともあいまって、加工貿易を主体としていたオランダの工業を衰退させることになりました。。ただ筆者によると、農業の不作などに起因する中世的な不況とは違って、収益性、労働コスト、環境問題(水質悪化、地盤沈下など) や市場の開放などが原因の18世紀オランダの経済停滞は十分に近代的と考えられるとのことです。独特な主張です。
工業以外でも、労働コストが高くなったことに加えて、気候の変化でニシン・捕鯨の漁場がオランダから遠くなったこともあり、これらの産業も衰退しました。また、ヨーロッパ内ではアムステルダムを迂回する貿易が増加して、中央貨物集散地としての役割は低下しました。これら衰退する産業に代わって18世紀のオランダを支えたのがVOCをはじめとしたアジア・アメリカ貿易で、アムステルダムは植民地産品を背後のドイツなどへ送る東西の交易の貨物集散地としての役割を果たすようになりました。ただし、やがてVOCも巨大で非効率な組織となりました。また、英仏間で政治的に独自な立場をとることができず、フランス革命後のバタヴィア共和国期を経て、工業・海運の崩壊につながったあたりまでが本書では扱われていました。
0 件のコメント:
コメントを投稿