2009年5月23日土曜日
江戸の入札事情
戸沢行夫著 塙書房
2009年3月発行 本体6500円
著者は塙書房から出版された江戸町触集成全20巻の編集に参加した経験があり、本書はそれをもとに書かれています。町触というと、単に町奉行が江戸の町民を支配するために出した法令なのだと思っていました。しかし本書によると「町触は町方行政に携わる町名主にとって、上からの半強制的な法令の遵守に止まらず、町方側にも内発的に社会経済的な変化に応じた町方運営の指針になった」とあるとおり、町名主としての職務を果たすにためにも、また先例を知るためにも、必要なものでした。そのため、江戸の町触をまとめた本は江戸町触集成以前にも出版されましたが、そのもととなった史料の出所は町奉行所の側ではなく、町名主たちが記録していた覚えなのだそうです。
町触の中には、法令だけではなく入札の情報も含まれていました。入札情報については、一部の史料以外にはあまり残されていなかったのですが、江戸町触集成には多数を収めることができたそうです。水に濡れたりの事故米、古木、失踪や犯罪の処罰にともなう闕所地・屋敷・日用品の払い下げの入札や、幕府の役所で使う材木・石材・金物・事務用品や江戸城で消費する食品の買い入れのための入札、役所の建物や江戸市中の橋の建築請負の入札などが町触にのせられていました。 ただ、本書の書名が「江戸の入札事情」であるにも関わらず、史料の限界から実際にどんな風に入札が行われたのかという意味での「事情」についてはあまり記述がありません。
その代わり、江戸市中の橋の請負については詳しく触れられています。橋には町民・武士などその地域に住む人たちが組合を作って架けた組合橋(割合橋)、個人で架けた自分橋(一手持橋)もありましたが、大川に架かる両国橋や江戸城内外の橋などは幕府の経費で架けられる御入用橋(御公儀橋)でした。木造の橋の耐用年数は20年くらいだそうで、洪水による破損などが頻発して幕府は橋の維持・掛け替えの経費に苦しんでいたそうです。なので幕府としても、毎年一定額で橋の補修を請け負う橋定請負人や橋会所の制度をつくったり、享保の改革では住民税的な性格を持つ公役金を徴収するようにしたりなどなど、いろいろ試行錯誤しました。
架橋の費用が多額だったために幕府が苦慮していた事情を読んでいて、東海道の大井川などに橋が架けられていなかったことを思い出しました。幕府は江戸の防衛のために主要河川の架橋を禁止していたと言われています。江戸時代も初期にはそういう事情があったかも知れませんが、元禄以降にも架橋しなかった本当の理由は経済的なものだったということはないのでしょうか。新幹線で大井川を通過する時、広大な川原に石がごろごろしているのを目にします。利根川東遷工事がなされ、しかも水源から遠い関東平野の江戸湾に注ぐ隅田川でさえしょっちゅう橋を破壊していた時代です。南アルプスからの距離が短く川幅の広い大井川なんかに橋を架けると毎年のように壊れて修繕・架け替えが必要になりそうですから。
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