2007年12月9日日曜日

近代日本の所得分布と家族経済  高格差社会の個人計量経済史学

谷沢弘毅著  日本図書センター  税込み6825円  2004年12月発行

「なぜ戦前は高い格差が存在していたのか」という疑問の解明のために、ミクロデータを利用して、高額所得者と低所得世帯について書かれた論文を集めた本でした。

ミクロデータの利用については労作といえます。高額所得者については、紳士録などの史料も利用して、職業・所得税額・資産保全会社情報など高額所得者5000人のデータを集めて分析しています。データの入力だけでも大変な手間だったでしょう。

また、低所得世帯については、主に1920年代に作成された方面カード(現在は民生委員と呼ばれている方面委員が家庭調査して作成したカード)と1934年の被救護者調査データを利用して書かれています。新資料の発掘とのことです。

そして、本書を読んでの感想ですが、ミクロデータの利用という点では新機軸なのでしょうが、新たな発見があったかという点では大したことないと感じました。先行研究との違いを著者は随所で強調していますが、素人の目から見ると感心させられるようなものは皆無です。

例えば、隅谷三喜男氏が都市雑業層論において低所得労働市場は賃労働市場と分断されていると指摘していることに対して、著者は修正すべきであると主張しています。しかし、著者は本書で低所得世帯の親の世代が主に在来産業に従事し続け、子供の世代がより高収入の望める近代産業に就業することを明らかにしていて、これこそ両労働市場の分断を示す証拠じゃないかなと思えてしまいます。

また、学術論文という性質上やむを得ないのでしょうが、きわめてまだるっこしい表現が多いのも気になりました。さらに内容的にも問題がありそうな感を持つ部分も散見されます。

例として、本書の第7章をみてみます。二つの調査あわせて50戸305人のデータの分析や、二つの調査の間の時代的な変化を論じたり、18・19世紀のイギリスの状況と比較したりなどなど、B5版の本書の96ページ分が割かれています。他に類例がない史料とはいえ、こんなに少ないサンプルから結論づけられることってあまりなさそうな気がするのですが、例えば「特に男世帯主に注目すると、戦間期の低所得階層において早婚化が進行したことが分かる」(466ページ)などと断定してあるので、びっくりしてしまいます。

また、「病気が回復するか否かはその所得水準にかかっていたといえよう」338ページ、「1900年代までの(世帯規模の)拡大は所得の上昇よりも、上水道の整備や公衆衛生の普及が死亡率の上昇圧力にブレーキを掛けた点に注目すべきである」414ページ、といった本章のデータからは導けないと思われる断定的な記載も気にかかります。 重箱の隅をつつくつもりはないのですが、私に分かる分野に問題ある記載があるということは、ほかの部分にも同種の問題が隠れているのではと感じてしまうのです。

また、「発症期間の短い病気は所得水準にさほど影響を与えないとして記入されなかった傾向が高い(中略)このような調査方法は、疾病状況を把握する際にはかならずしも現実を適切に反映していないといった批判が出ようが、我々の目的である就業行動にとってはむしろ好都合である。なぜなら我々にとっては、罹患しているかどうかが最終の目的ではなく、あくまでも調査期間を通して健常者の何割程度が働き、そして所得を稼いだかが重要であるからである」506ページとしていながら、「伝染病の患者数が見あたらないことは実態を反映していない可能性がある」509ページと疑問を呈しているのはなぜなんのでしょう。結核以外の法定伝染病は典型的には急性疾患なので、この調査で見あたらないのは当たり前のような気がしますが。きっと、5章・7章とも病気に関する記載を、医師に読んでもらってはいないのでしょうね。

本書は、日経経済図書文化賞、社会政策学会賞を受賞しており、プロの目からはすばらしいものなのでしょう。なので、せっかくの労作ですし、このデータを利用した素人にもそのすばらしさが分かる一般書を著者には期待したいものです。

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