2007年12月19日水曜日

徳川時代の文学に見えたる私法

中田薫著  岩波書店  税込み693円  1984年3月発行

中世史・近世史の本を読んでいる際に、中田薫という名前には何度も目にしたことがあった。優れた法制史学者だったとのことだが、何分むかしの人なので、著書を手に取る機会はなかった。ところが、岩波文庫の2007年秋の一括重版の一冊として、この本が書店で平積みになっていたので購入してみた。

世話浄瑠璃・浮世草紙などの文芸作品を材料に取り上げて、江戸時代の私法について説明することが本書の目的であると示されている。この「軟文学に材料を採った法律論」という研究の目の付け所がとってもシャープに感じられる。しかも、本書の底本の大元になった同名の論文の書かれたのが大正3年だというから、驚いてしまう。もしかすると、外国に同じような手法で書かれた本なり論文なりがあったのかもしれないが。

本書は動産抵当・売買・為替手形・婚姻・相続など24の章に分けられ(順序は旧民法に則っているとのこと)、例文の引用とその解説が述べられている。江戸時代の作品から採った例文は私にとって必ずしも読みやすい・理解しやすいとは言えないものも少なくなかったが、適切な解説で何とか読み進むことが出来た。

本書を読んだ感想は、江戸時代とはいえ、私法関係自体は私という現代人にとっても、あまり違和感がないものだというだ。もちろん、夫婦や兄弟姉妹などの男女の関係が同権でないことや養子制度など、現代と違う点もあるのだが、本書に引用されているエピソードの多くは腑に落ちるし理解できるものばかりだった。

きっと外国人がこの本を読めば、江戸時代の日本人の行動に理解できない面を見いだすことだと思う。しかし日本人の私にとっては、江戸時代の日本人の行動は充分に理解可能・わかり合えるもののように感じられた。

本書のラストの方に「相続」と「遺産」という章がある。これらの章でも、他の章と同様に江戸時代の文芸にみられるエピソードがいろいろ紹介されているのだが、それに加えて、ここでは以下のような著者の感想も述べられている。いずれにも、著者の時代の民法(私たちから見ると旧民法)に対する著者の批判的見解が示されていて興味深く感じた。またここまで本書を読んでくると、江戸時代の家族関係というものは旧民法下の家族制度よりも、現在の私たちにとってしっくりくるものなのかもしれないと感じられた。

「今日の民法は家族居住の指定、婚姻の承諾、離籍の言渡し等三、四の軽微なる権利を掲げて、これを戸主権と名付け、戸主権と戸主の財産権との相続を称して、家督相続という、前古無類の新制度というべし」

「封建制廃止後の新時代に編纂したる我が民法は、須く千五百有余年の久しきにわたって、普通法の原則たりし分割主義を以て、財産相続の根本原則となすべかりしなり。しかもいわゆる家督相続なるものを創定して、封建時代における家禄家封の相続原則を、家禄家封の停廃されたる今日に適用せんとす、歴史を無視したるの立法というべし」

「今日の民法が総ての相続人に相続の限定承認を許し、直径卑属たる家督相続人以外の相続人には相続の抛棄をも許容したるは、洵に我が旧慣に適応するものというべし。これを以て我が家族制度の本旨に戻ると説くが如きは、一知半解の論のみ」

「しからば徳川時代庶民階級における財産相続法の通則は、単独相続にあらずして分割相続なること多言を要せずして明らかなり。今日の民法はこの通則(しかもこの原則たるや律令以来普通法の通則たりしなり)を無視して、封建制の停廃されたる今日においてなお封禄の相続法を固守せんとす、その何の故たるを知らざるなり」

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