2007年11月23日金曜日

ラテンアメリカ経済史  続きの続き

著者の問題意識は、十八世紀までは第三世界の中でももっとも豊かな地域であり、北米と実質国民所得でも遜色ない経済実績を示していたラテンアメリカのその後の経済不振の原因は何かという点にあると思います。しかし、この種の本を読む際、私の頭の中には日本の歴史との比較という意識が常にあります。また、韓国や台湾の読者だったら本書の第三局面の記述が一番興味をひくところでしょう。

日本の場合ですが、本書の第一局面にあたる幕末開港時には、生糸・蚕卵紙・茶・銅といった一次産品を輸出していた国でした。また、同時代に植民地でなかったという点ではラテンアメリも日本も同じです。ただ、その後の経路においては違いが見られます。

日本の主要な輸出一次産品である生糸は、開港後も昭和に至るまで輸出量が増加しました。しかしこの生糸の輸出が前方・後方連関を通して日本の工業化を主に担ったという評価はないと思います。

日本もラテンアメリカの大国と同様に、19世紀のうちから輸入代替工業化を開始します。初めは軽工業である綿業で、その後、造船・機械工業、そして20世紀に入ってからは鉄鋼業・化学工業と進んでいきます。

日本においても、この輸入代替工業化は綿業においては綿花の輸入、重工業においては原料(鉄鉱石、銑鉄)や資本財の輸入を伴い、貿易赤字をもたらします。しかしここで、生糸などの一次産品の輸出が外貨を獲得することにより、輸入代替工業化を継続できたわけです。

また、日本でラテンアメリカと異なる工業化の動きが見られたのは、いわゆる新在来産業です。新在来産業は国内市場向けに雑貨を供給するだけでなく、東アジア・アメリカ合衆国などに輸出していました。

日本の事例では輸入代替工業化として始まったはずの綿業や新在来産業の製品が近隣国の市場に輸出され得たことが、ラテンアメリカの経験とは大きく異なる点です。

この点で思い起こすのは、川勝平太氏の物産複合の考え方です。日本綿業の主要な製品である太糸から生産される厚手綿布や、新在来産業の生産する生活雑貨は、日本と物産複合的に類似する中国など東アジア諸国に受け入れられ、販路を見いだせたのでしょう。

それに対して、ラテンアメリカ諸国で購買力を持つ層は、ヨーロッパ諸国とそれほど異ならない物産複合の中に生活していたので、ヨーロッパ諸国で生産される商品よりも安く生産できる見込みがなければ、自国で衣類や雑貨を生産し始めたり、ましてや近隣国へ輸出したりすることにはならなかったのではと想像します。

本書では、「プロト工業化では手工業部門の生産性の低い生産単位が、より洗練された分業を採用し、とりわけ近代的な機械を用いることでより高い労働生産性を享受する近代的な製造業に変化した。このようなプロセスがラテンアメリカでも見られるかどうか・・・・答えは否定的なものである」と述べられていて、手工業部門が自ら高い生産性を有するものに転換できなかった理由としては、資金の欠如、政治的エリートとの関係の欠如により有利な公共政策を実施させられなかったこと、家族労働に依存していたので拡大できなかったこと、があげられています。日本の在来産業においても同様な問題はあったはずです。しかし、日本の在来産業が新在来産業へ発展しいった背景には、国内市場だけでなく輸出も期待できたという、物産複合による利点があったことも大きいのだと思います。

本書ではラテンアメリカ各国ごとの経済的なパフォーマンスの推移の違いの原因として、①商品の当たり外れ、②輸出主導型の成長、③経済政策の実施環境の三つをあげています。日本についてこれを考えると。

① 商品の当たり外れ。生糸は大当たりではなくとも、当たりの範疇には入るでしょう。工業化に必要な外貨を1920年代にいたるまで稼ぎ続けてくれたのですから。1929年代恐慌で生糸の価格は惨落しました。しかし、20世紀を通じて一次産品の輸出に依存したラテンアメリカ諸国とは違い、日本の場合にはその頃には工業化の離陸を果たしていたので、生糸もはずれの商品とはならずに済みました。

②輸出主導型の成長。資本・労働力・国家という装置が効率的に機能しないと、輸出部門の成長を非輸出部門の成長につなげることができなくなってしまう。本書には「ラテンアメリカの寡占的な構造は、標準以上の利益とかなりの経済的な収益を生んだかもしれない。しかしそれらの構造は伝統的には、技術革新、投資ブーム、あるいは全要素生産性の上昇とは結びつかなかった (中略) 十九世紀の米国や第二次大戦後の日本で顕著であった、レントを生産的に利用するという刺激は欠如していた」という記載があります。本書の第一局面にあたる時期の日本の経済成長も、第二次大戦後に比較すると見劣りします。これは、著者の指摘の通り、地主制や財閥などの存在した戦前日本では、「レントを生産的に利用するという刺激は」戦後の日本に比較すると欠如していたということになるのでしょう。

③経済政策の実施状況。明治大正の日本政府にも問題はいろいろありましたが、富国強兵のためになすべきことはしていたということは言えるでしょうね。


ラテンアメリカ経済史
ラテンアメリカ経済史 続き

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